朝礼ネタ あきらめなかったカーネルサンダース

2018/04/23

朝礼ネタ 自己啓発

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朝礼ネタ あきらめなかったカーネルサンダース

ケンタッキーフライドチキンができるまで

ケンタッキーフライドチキンの創業者である、カーネルサンダースこと本名ハーランド・サンダースは、1890年9月9日、ケンタッキー州最大の都市ルイビルとオハイオ川ひとつを隔てた町、インディアナ州ヘンリービルで生まれました。

早くに父を亡くした彼は、工場で働く母を助けて6才で料理を始めます。

弟妹と母のために焼いたパンが、皆に大喜びされたのが7才。

このときの嬉しさをカーネルは生涯語り続け、その感動が「おいしいもので人を幸せにしたい」というKFCの理念へと受け継がれていきます。

家を助けるため10才から農場に働きに出たサンダースは、独学で学びながら機関士、判事助手、保険外交員、フェリーボートなど40種に及ぶ仕事に就きます。

そして、タイヤのセールスをしている時に出会った石油会社の支配人から勧められ、30代後半にガソリンスタンドを始めます。

また、ガソリンスタンドを利用する人たちのために、物置を改造して、6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をつくったのは1930年6月。

以来、スタンドはサービスの良さで、カフェは味で評判となります。

そのカフェの目玉商品が、独特なフライドチキン。

素材にまでこだわった手づくりの味と、細やかなサービスに来客は列をなし、1935年には「州の料理への貢献」が評価されて、ケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を授与されるのでした。

その後、火事や新ハイウェーによる人の流れの変化などで維持できなくなった店を手放し、負債を支払ったカーネルの手元にはいくらも残りませんでした。

唯一残った財産は、フライドチキンの調理法。

65才のカーネルは、それを教える代わりに売れたチキン1羽につき5セントを受ける、というFCビジネスを始めます。

車でアメリカ各地を回り、何回も何回も断られながらも、努力の末にビジネスは成功。

73才の時には、チェーンは600店を超えるほどになるのでした。

ここから朝礼ネタ

以前、ケンタッキーフライドチキンを作ったカーネルサンダースの話を聞きました。

カーネルサンダースが、実際にケンタッキーフライドチキンを作ったのは65歳、あの人形の歳だそうです。

当時、月105ドルの年金生活だったカーネルサンダースは、かつて経営していたレストランの大人気メニューだったフライドチキンのつくり方と秘伝のスパイスを、他のレストランへ売ることにしました。

カーネルサンダースは、レストランに飛び込み営業をかけて、何人もの人にチキンを食べさせますが、返ってくる答えはすべて「No」。

その数はなんと1009回にもなったそうです。

それでもカーネルサンダースは、自分のチキンの味に自信をもち、「おいしいもので人を幸せにしたい」という情熱を燃やし続け、1010回目に「YES」を聞くことができたのでした。

もし1009回でカーネルサンダースがあきらめていれば、今の世の中にケンタッキーフライドチキンはなかったかもしれません。

仕事におきましても、「才能がない」とか「うまくいかない」と言って簡単にあきらめずに、がんばっていきたいと思います。


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